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大森 健作 オオモリ ケンサク

元プロサッカー選手
札幌を拠点にスポーツコメンテーター・タレント・サッカー指導者・講演会講師として活動中

  • プロフィール Open or Close

    1975年11月21日生まれ
    愛媛県出身

    1994年に横浜マリノスに加入し、
    翌年には、FIFAワールドユース(現 FIFA U-20W杯)カタール大会に出場。
    鹿島アントラーズ、京都パープルサンガを経て2000年にコンサドーレ札幌へ入団すると、
    高い守備能力を発揮し、中心選手として2004年まで活躍。
    セレッソ大阪へ移籍し2007年、徳島ヴォルティスでのプレーを最後に引退。
    引退後は札幌を拠点にサッカー中継の解説や
    STV「どさんこワイド朝(毎週金曜日)」のスポーツコメンテーターを中心に、
    情報番組にレギュラー出演や日刊スポーツでの連載、サッカースクールの指導者・講演会講師などタレント活動を続けている。
    また、子ども達のからだの機能を高め、運動神経をよくするのが目的の運動教室を開催している。

    【講演会テーマ例】
    ◆子どものやる気と身体能力のアップ法(平成28年1月 PTA対象)
    ◆生き残るために (平成28年1月 新成人対象)
    ◆あの一言があればこそ今がある (平成28年1月 企業対象)
    ◆体力向上スポーツ講演会 (平成27年12月 中学校生徒)
    ◆サッカーから学んだ生き方(平成27年10月 企業対象)

  • インタビュー Open or Close

    Q 現在の仕事は?
    テレビの仕事(スポーツコメンテータ・サッカー解説・スポーツ特番など)と講演会講師やイベントの司会・サッカーの指導者の3本柱で活動しています。



    昨年(平成28年)新しく始めたのは、小学生の運動教室です。
    「体操教室?」とよく言われますが、子ども達のからだの機能を高める、運動神経をよくするのが目的の運動教室です。 一見、遊びのような動きもコーディネーションやシナプソロジーといった理論を交えた実践です。 どれも楽しみながら身についていくのが特徴です。
    体育館をお借りしているご縁で、その小学校でのドッジボールクラブの監督も引き受けました!(笑)
    子どもたちと関わるのは、本当に楽しいです。
    サッカーや野球、バスケットボールなどの少年団に入っていない子どもがほとんどですが、「チームで協力して戦う楽しさ」を体験しながら成長していく姿に感動しています。

    また、講演会では新しいテーマにも取り組んでいます。
    「認知症予防講座(認知機能向上教室)」として、厚沢部町や白老町でも講演させて頂きました。
    「シナプソロジー普及員」の資格をとったことがきっかけで、こちらでも、笑いながら無意識のうちにからだを動かせ、脳の活性化に繋がるシナプソロジーを中心にメニューを考えています。
    高齢者のみなさんにも楽しかった!と、言って頂いています。


    Q 去年(平成27年)を振り返ってどんな年?
    終わりと始まりの年でした。
    レギュラーを持たせて頂いていたテレビの「マハトマパンチ」と「たびばん」という二つの番組が夏に終了しました。しばらくテレビの仕事で一週間がほとんど終わる・・という生活をしていたので不安は大きく、どうしていいかわからないという状態でした。プロサッカー選手を引退した後、声をかけて頂いた仕事に全力投球をしてきましたので、自分自身の営業というものを一度も経験したことがなかったからです。
    恵まれていたことはわかっているのですが、その分、仕事がなくなった反動の恐ろしさを体験しました。


    Q 転機は?
    現在大宮で現役を続けている播戸竜二のお陰です。
    バンとはコンサドーレ入団の同期。空港で初めて会った時に「健作って呼んでいい?」といきなり言われ以来ずっと年下の彼から呼び捨て(笑)
    バンから紹介されて7月中旬からマネージャーをつけることになりました。
    引退して8年、ずっと一人でやってきたけれど、限界を感じていた時だったので転機となりました。
    8月にはこのオフィシャルサイトが出来て、フェイスブックも始めました。 多い時には9000人の人が見てくれて驚きました。 発信すること、続けることが本当に大事だとわかりました。

    年末年始に故郷愛媛県に帰省したときにフェイスブックを両親と祖母に教えると、すぐにタブレットを買いにいったんです! これには驚きました。でも毎日3人で見ていてくれ「楽しみが出来た」と喜んで貰えて、こういう親孝行もあるのかと。


    Q サッカースクールではどんな指導を?
    マネージメント会社と仕事をしていくことを決めた丁度その直後、驚くような偶然がありました。
    サッカースクールを立ち上げた砂川誠と小野伸二から「手伝ってほしい」と依頼があったのです。
    砂が岐阜に急遽移籍が決まったのでその代わりを頼まれました。
    子どもたちへの定期的な指導は引退直後、クラッキという会社(現コンサドーレ社長の野々村さんが経営)に所属をしていた時代にコンサドーレのスクールで受け持っていたことはありましたが、本当に久しぶりで新鮮でした。 週に2回のペースで小学校5・6年生に教えています。



    さらに、10月からはプライベートレッスンをスタート。
    少人数で3時間というハードですが子どもたちと充実した時間を過ごしています。
    どちらのスクールでも「考えさせる」指導を徹底しています。
    「こうしろ」というのは簡単です。きっとすぐに出来るようになるでしょう。 でも、ゲームで同じ状況というのはあり得ません。 パスなのかドリブルなのか一瞬の判断が出来るように成長をサポートしたいという思いが強く、ひたすら「我慢」です(笑)


    Q 平成28年はどんなことに挑戦したい?
    ・コーディネーショントレーニングやシナプソロジーの勉強をもっとして講演会に生かしたいと思っています。
    実は去年から講演会も積極的に受けるようになりました。 講演会のテーマはこれまでは「サッカー」が中心でした。 でも今子どもたちを指導していて感じるのは、「思うように身体を動かせない」子どもの多さです。 「見る」「聞く」という目や耳からの情報は脳に伝わります。 そして脳で指示を出し身体が反応します。 その神経回路がうまく機能していないように感じる場面が多く、運動の基本である能力を身に着けてこなかったのかと驚くことが多いです。 子供のころいろんな遊びを通して仲間たちと身体を動かしていた僕たちの子どものころの環境との違いも一つの要因だと思います。 それでサッカーに特化せず、どんなスポーツにも求められる運動神経を向上させるコーディネーショントレーニングを普及させて身体を動かすことの楽しさを知ってもらいたい。そう思うようになりました。 講演を実際やってみると子どもだけじゃなく60代 70代のシニア世代の方にも「脳が活性化した気がする」と好評で、脳と身体の連動に年齢は関係ないのかもと感じます。



    ・テレビの仕事ではコンサドーレの試合のデータ放送解説やツイッター解説に去年初めて挑戦しました。
    その時に感じたのは語彙力と表現力の大切さです。
    今年夕方の情報番組で旅のレポートを体験しましたが、レポートやインタビューの勉強も始めました。 スタジオ生ナレーションにも挑戦しました。
    これまでは短いスポーツの原稿は読んだことがあるけれど長いものは殆どがアナウンサーの方にやってもらっていました。 最初に台本を見た時は「え?こんなに?」と驚いたけれど、猛特訓して早口を克服?出来たのか、本番は噛まずにやり遂げられました。
    言葉は難しいけれど、伝わると嬉しい。素直にそう思います。
    それにしても今まで教わることもなく・・どうやっていいかわからず体当たりでやっていましたが・・よく続けれ来られたと恐ろしくなると同時に、支えて貰えていたことに感謝です。
    これからは応援して頂いていいた皆様に喜んで貰えるように成長していきたいと思っています。




    Q 子どもを伸ばすために親はどうかかわればいい?
    これは僕が指導者になってからわかったことです。
    僕自身、小6でサッカーを初めてからボールを抱いて寝ていたくらいサッカーにのめりこみました。 本当にボールが恋人で朝から晩までサッカー一色で「やらなきゃ」じゃない、「やりたい」という気持ちでいっぱいでした。 でも、スクールに来る子どもの中には「本当にサッカーやりたいのかな?」と疑問に思える子どももいました。 親が「やったほうがいい」と勧めて来たのでは?本当に子どもがやりたいのか?それは子どもを見ていたらよくわかります。
    本当にやりたくて仕方ない子は楽しそうにしているのですが「やらされている」子どもは表情も乏しく、挨拶もおとなしい。わくわくしている感じがしないのです。



    そして今?気になるのは、何でも聞きたがる子の多さです。
    「コーチ、ビブスは畳むんですか?」「荷物はここに置いていいんですか?」など指示待ち症候群の予備軍か?と心配になるくらい、答えを求めるのです。考えて判断する習慣がついていないと感じます。
    「子供は可愛いから失敗させたくない」、「辛い思いをさせたら可哀想だ」という親の気持ちから先回りをして何度もやってあげているのではないでしょうか?でも、失敗はさせた方がいい。 失敗があるから、なぜ失敗したかを考えるようになります。それが成長です。

    子どもたちの指導をするようになって、家庭のかかわりの大切さがわかるようになりました。
    これは北海道外でのある少年団での出来事です。上手い選手が下手な選手を責めていました。
    「お前なんか出来ないんだから」「辞めたほうがいい」「他へ行ってくれ」という内容を汚い言葉を使って言います。 力があるから偉そうになっていく典型的なパターンです。

    その子どもと親を観察すると、あることがわかりました。
    親は息子に指示や命令が多かったのです。 「あれやったらダメ」という言葉も多かった。 でも、親がそのことに気づいてくれて変わりました。 言いたいことをぐっとこらえ、ただ頑張っている姿を誉めるようにしてみたのです。 誉めて、受け入れる、それを繰り返したところ、子どもに変化が現れました。 チームメートのミスを「ドンマイ 次できる」と励ますようになったのです。
    時間はかかりましたが子どもは親に認めてもらえると他の人を認められるように自然となれます。
    子供は親を移す鏡のようなものだと思いました。
    指導者も親も「我慢」が大切なんでしょうね。


    Q 大森家の子育ては?
    放任主義です!
    やりたいことは何でもやらせてくれました。そして「やれ」と言われたことはありません。小学校時代は野球少年でした。でも6年生の時、好きだった子が「サッカー好き」と知り それならば、と野球を辞めてサッカーを始めました。その時も反対はされませんでしたね。 でも野球で身体を鍛えていたので6年生で愛媛県2位になれたので喜んでくれました。

    口は出しませんが、協力はしてくれました。
    チーム練習や試合など送迎は父がしてくれました。
    母は食べるものに気を使ってくれて、好き嫌いの多い僕をだます天才ですね。
    嫌いなトマトが少し炒め物に入っていたりと工夫しながらバランス良い食事を作ってくれたから丈夫な身体が出来たんだと思います。



    反抗期は中学校に入ってからです。
    親に対して無視してしまっていました。
    でも、中3で左ひざの手術で2か月入院し落ち込んだときは支えてくれました。
    結局サッカーの強豪高校へ進んでも一年生は怪我のリハビリで全く出られず、辛かったです。
    さらに親元を離れるのが初めてでしたから「家族に会いたい病」にかかかりました(笑)
    反抗期はどこかへいってしまいました。
    電話をかけてくれて手紙もくれて、支えてくれた家族には本当に感謝しています。
    その病気は 2歳上の兄も支えてくれ乗り越えました。家族は本当に仲がいい。
    兄とも喧嘩をしたのは一回しかありません。原因はファミコン・・・。
    父も母も喧嘩をしないので、家庭が安定していたことは間違いありません。よく「一番大切なものは?」というアンケートで7割が「家族」と答えると聞きますが 僕にとっても家族は宝物です。
    今も母は離れて暮らす僕に手紙をくれます。

    結婚して孫の顔を見せて・・という親孝行ができずお父さんお母さんごめんなさい!


    Q 尊敬できる指導者は?
    3人います。
    1人目は小学校6年生の時に入ったサッカーチームのコーチです。
    この人との出会いがなければすぐに辞めていたかもしれません。コーチはとにかくプレーを誉めてくれました。声掛けも前向きです。「なんでやらない?」なんてことは言わない。「積極的にいけ!ミスを恐れるな」と。のびのびプレーが出来たので気が付いたら上達していました。

    2人目は高校時代のサッカー部の監督です。
    挨拶や礼儀などメンタル面、人間性について厳しかった人でした。
    サッカーが上手ければいい、なんてとんでもない。人として立派じゃなければ通用しないと徹底的にしつけられました。それがプレーに生きたし、仲間を信頼できてチームワークも うまれました。強くなれたのはあの時の指導があったからです。



    3人目は岡田監督です。
    岡田監督が声をかけてくれたのでコンサドーレ札幌に来ることが出来ました。
    当時の僕は、プロになれたことに満足していました。華やかなプロの世界。自由に使えるお金もあり、正直天狗になっていました。当時は京都にいて遊ぶところも沢山あって楽しかったんです。
    試合には出たりでなかったりでしたが「もういいや」って感じで辞めることを考えていました。
    そんな時に岡田監督が北海道に呼んでくれました。僕にとっては異国の地でしたがすぐに飛んできました。

    もちろんそれだけじゃありません。
    岡田監督はプロになってから僕を一番伸ばしてくれました。
    いつも言われる言葉、それは「お前の武器は何だ?」でした。
    だから考えました。「僕の武器はなんだ?」と。そこがポイントです。
    いつも言われるのでその都度、気づきます。武器を磨く。そこを意識できたことは実はすごいことでした。 普通は出来ないとこを意識して練習するのですが、そうじゃない。武器を磨くのです。岡田監督は苦手なプレーについては全く注意しませんでした。すると、出来なかったことができるようになっていきました。ディフェンスの力もつきました。とれなかったものがとれるようにもなりました。 こんな指導者は初めてでした。僕は「こういう指導者になりたい」と心から思いました。 良くないプレーをけなすのではなく、自然とできるように導く、そんな指導者に出会えてことは最高の財産になりました。


    Q コンサドーレ札幌の魅力と課題は?
    愛媛出身の僕がなぜ引退後札幌で仕事を?
    それはすすきのが温かいからでしょうね(笑)
    冗談ですよ!こんな温かいファン、応援してくれるチームはありません。
    徳島のチームで引退した時、北海道が一番最初に頭に浮かびました。ここで恩返しをしたいと。きっと同じ思いをしている。野々村さん(北海道コンサドーレ札幌 野々村社長)も。宏太(サッカー解説者 吉原宏太さん)も。みんな同じだと思います。



    課題はファンが優しすぎることですね。消極的なプレーが続いたら他のチームのファンならば叱られます。だからメンタルが強くなるんです。個人の選手としての成長を考えてもっと怒ってほしいですね。ファンが選手を育てるんです。甘かったら甘ちゃんな選手に育ってしまいます。

    他のJ2プロチームとの違いは環境が整いすぎていることです。
    クラブハウスも僕が札幌に来たころはなかったです。宮の沢も札幌ドームもありません。随分と練習場所を転々としました。専用の場所があるということが若い選手には当たり前になっていますが、もっと外に出たほうがいいと思います。 僕自身、芝の専用グラウンドがなくジプシーのように練習場所を求めて転々としたり、ユニフォームの洗濯を自分でしたりというチームで随分鍛えられました。地元出身でそのままチームに入団すると、どうしてもちやほやされたり、守ってもらえることが多いんですね。スター扱いは勘違いを生みます。そして能力があっても消えていく。悲しい現実をみてきました。もうそんな選手を作ってはいけない。それはベテランが伝えなければいけないことです。

    そんな中、小野選手や稲本選手が入ってきました。大きく変わりました。
    なぜなら、ベテランの彼らは手を抜きません。どんな時も切磋琢磨して技術も、メンタルも磨き続け鍛え上げています。 若い選手がそれをみて緊張感を持続して自分に厳しくなったと思います。


    Q 将来の夢は?
    北海道の子どもたちを教える指導者としてスペシャリストになりたい。
    夢をかなえるために大切なことを教えてあげたいですね。
    僕が高校3年生の時にプロが出来ました。それまでは「ただサッカーが上手になりたい」という思いで続けてきましたが、プロになるというはっきりした目標が出来ました。不安も迷いもなく強い気持ちで臨みました。夢を持ち、確信することはとても大事なことです



    子どもは可能性のかたまりです。僕は小中学生のころはシャイで恥ずかしがり屋な性格でした。
    人前に出るのが大の苦手で、ついたあだ名が「てれてれちゃん」。今テレビや講師の仕事をしているのが不思議なくらいですね(笑)でも旅番組や情報番組で取材にいくといろんな方々にあえます。サッカーだけやっていたら決して出会うことはありません。知らないことも多く勉強になります。選手としても、引退してもテレビに出させて貰えて本当に幸せなことです。これに甘んじることなく、人として輝けるように、魅力的になれるように勉強していきたいです。

    これまで自分の売りは「熱さ」だと思っていました。
    「あつ苦しい」と言われたことも多々あります。それでいいと思っていました。
    でも僕ももう40歳。子供から見たらもう「おじさん」です。
    大人として違う面もアピールして社会に役に立てるように頑張ります。